明治35年11月 |
創設者佐々木五三郎が、東北育児院を(社会福祉法人弘前愛成園の前身)弘前市本町に創設 |
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 創設者 佐々木 五三郎 |
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明治38年 2月 |
新寺町に移転。育児院の経営はすべて私費で賄い、年々増加する孤児たちを養育するため、
行商や巡回映画の興行をするなど、 資金の捻出に苦闘した。 |
大正 3年 9月 |
県内2番目の常設映画館慈善館を建設その経営は、育児院の出身で五三郎の婿養子となった佐々木寅次郎(のちの社会福祉法人弘前愛成園二代目理事長)が中心となって行なわれ、弘前愛成園の経済基盤確立に貢献した。 (昭和41年閉館) |
昭和 6年 7月 |
東北育児院は弘前愛成園と改称 |
昭和 7年 9月 |
弘前養老救護院を創設 |
昭和20年 |
五三郎の娘婿の三浦昌武(のちの社会福祉法人弘前愛成園三代目理事長)が、園の経営に参画。弘前愛成園は社会事業施設の公共的性格を強化するため、これまでの個人経営から財団法人へと組織変更した。 |
昭和22年〜23年 |
弘前愛成園と弘前養老救護院を新寺町から、現在地の豊原に新築移転 |
昭和25年 7月 |
養老救護院を財団法人弘前愛成園の組織に編入 |
昭和27年 5月 |
社会福祉事業法の制定に伴い、弘前愛成園は財団法人から社会福祉法人に組織変更され、五三郎の長男佐々木俊一が社会福祉法人弘前愛成園の初代理事長に就任した。 |
昭和28年 5月 |
三浦昌武は弘前愛成園の経営基盤確立のため、姉妹法人として医療法人愛成会を設立、理事長となり、弘前大学医学部の協力を得て精神科病院の安原病院(のちの財団法人愛成会 弘前愛成会病院)を開院した。 |
昭和28年 7月 |
花園保育園を開園 |
昭和43年 4月 |
県内初の特別養護老人ホーム弘前静光園を開園 |
昭和45年12月 |
養護老人ホーム弘前養老院を増改築し弘前温清園と改称 |
昭和47年 3月 |
弘前温清老人福祉センターを開設 |
昭和49年 4月 |
乳児保育所りんごベビーホームも開設し、保育事業は一層充実したものとなる。 |
昭和57年 5月 |
弘前温清園に併設されていた盲老人ホームひかり寮を、養護(盲)老人ホーム津軽ひかり荘として岩木町百沢(現在弘前市百沢)に新築した |
平成 4年 4月 |
特別養護老人ホーム弘前静光園を移転新築、弘前静光園デイサービスセンターを開設 |
平成 8年10月 |
三浦昌武の長女三浦昭子が社会福祉法人弘前愛成園の四代目理事長に就任 |
平成14年 1月 |
社会福祉法人弘前愛成園が創立100周年を迎えるにあたり児童養護施設弘前愛成園と花園保育園を移転新築 |
平成16年 4月 |
金属町に自由ヶ丘デイサービスセンターやグループホーム自由ヶ丘等を新設 |
平成17年 4月 |
神奈川県横浜市にあっぷる保育園鶴ヶ峰を開園 |
平成19年 3月 |
黒石市にグループホーム静香荘を開設 |
平成19年 4月 |
黒石市に小規模多機能デイサービスセンターりんごの郷を開設 |
平成19年 4月 |
東京都大田区に「池上保育園」を開園 |
平成20年12月 |
弘前温清老人福祉センター事業廃止 |
平成21年 1月 |
養護老人ホーム弘前温清園が金属町(弘前市)に改築移転 |
平成23年 1月 |
社会福祉法人東京愛成会を設立し、あっぷる保育園鶴ヶ峰並びにあっぷる池上保育園の事業を譲渡する。
初代理事長に三浦昭子が就任 |